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2016 03,07 05:24 |
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◆気になるボイスコラム◆ vol.027 2016.03.07号より
☆声にこだわりを持つ筆者がこだわってお届けします☆ テレビの海外ドラマや洋画の吹き替え声が気になります。 テレビでやる海外ドラマや洋画は日本語に吹き替えされていますよね。 あれって画面を観ていなくても、今放送されている番組が日本製なのか外国製の吹き替えなのか、ほんの数秒聞いているだけで分かってしまいます。 例えばセリフ回しだけとってみても私たちの通常の喋り言葉とは違うと感じます。 男性なら「〜ぜ」とか「〜かい?」、女性なら「〜わ」とか「〜だわ」など、特に語尾の部分が顕著に芝居掛かった口調になっています。 しかしそれだけでなく、声の調子も違っている気がします。何が違うんでしょうか? 気になります。 さて、吹き替え声を改めて聴いてみると、第一に目立つのは全体に早口だということです。その割に聞き取りにくくないのは、文の途中に長めに切れ目が入るからです。 ただその切れ目の位置と長さが、私たちの日常のしゃべり言葉とは違っているので、やや不自然に感じます。 例えば普通なら「手がかりがありましたよ」とすっと言うところが、「手ぇがかりが〜、ありましたよ」など。 これは、なにしろ原語の口の動きに吹き替えの声を合わせねばならないので、どうしてもリズムが早口に、そして切れ目を入れねばならないためなのでしょう。 同じくセリフの始めに「ん〜」とか「あ〜」という溜めが入ることも多いのですが、これは英語の芝居に「ア〜ンド...」とか「ウェ〜ル...」というセリフが文頭に多いためと思われます。 そしてやはり際立つのは、語頭から声が大きく、全体に抑揚が非常に激しいこと。テンションがずっと高いと言ってもいいかもしれません。 いわゆるオーバーな演技で、昔の大映ドラマを彷彿とさせます。 この理由については吹替愛好家の漫画家とり・みきさんが『吹替の帝王』というサイトで考察していらっしゃいます。 http://video.foxjapan.com/library/fukikae/specialcolumn04.html 第一に、息継ぎやタイミングなどが異なる吹き替えで日本語をナチュラルに合わせるのはそもそも難しいので、オーバーにアテることでセリフに勢いや説得力を持たせようとしたのではないか。 第二に、黎明期の小さくて解像度の悪いテレビ画面で、当時の日本人にとって顔の区別のつきにくい欧米人の芝居を見せるために、声優によるキャラクターのフレームアップが必要だったのではないか。 第三に、初期はごく少人数の声優でたくさんの登場人物の声をアテており、ほとんど一発録りだったため、よりはっきりしたキャラ付けが行われ、オーバーアクト気味になったのではないか。 第四に、「欧米人はジェスチャーがオーバー」というイメージから、少々ショーウィーな話し方のほうが外国のドラマっぽく、しっくりくる、と思われていたのではないか。 第五に、初期の声優は新劇出身者が多く、リアルさの表現として新劇的セリフ回しを吹き替えに応用し、それが定着したのではないか。 吹き替え声は芸人さんのネタにもなっています。つまり誰が聞いても吹き替えだとわかるパターンがあり、世間でも認知されていることになります。 ひとつの文化が成立するには様々な要因があって、偶然と必然の中で淘汰され定着していくと思われます。吹き替え声の成立過程も面白いものだと思います。 ただ今後はどうでしょうか。時代に応じて人々の感じ方は変わるものです。吹き替え声もナチュラルな方向性に移行していくか、わかりやすさがより求められていくか、興味深いところです。 吹き替え声の今後が気になります。 PR |
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